2018年12月22日土曜日

結構、わたしやれてる…。

お話会に参加されたかたからよく聞く声が

「すごく現実的…(笑)」

という言葉です。

現実的なんです(笑)
心の事となると、ともすると雲をつかむような話になりがち(?)ですが、このお話会でお話しする視点や体験は、その人の実際の日常の中で体験を使いながら行っていきます。

理由は簡単です。
答えはその人が持っているから。

私ができるのはそのピースをつなぐためのお手伝いです。

また

「結構私やってるじゃん…」

つぶやくように言われたこの言葉。

実際に体験をしていただき、新しい視点を通して実際の自分を振り返ってみると、結構やれてることに自然と気づきます。自分の事なのに、自分が一番驚くという。

以前、落とし穴の詩をこのブログでも載せましたが
ブログ:習慣を変える

落とし穴に落ちた時、
どうしてこうなったのか…と落とし穴を分析してもしょうがないのです。
落とし穴から出る方法、そして落ちない手立てを見出すことが大切です。

そして、その答えは自分を中心とした全方向に広がっています。

~次回のお話会の予定~

2019年の最初は京都からスタートします♪
今回は私と同じくホリスティックコミュニケーション認定カウンセラーで現役の看護師でもある中村浩美さんとの共催です。

日時:1月20日(日)10:30~12:30
会場:すみれや(京都市左京区)
料金:3,000円(振込み完了で正式お申込となります)
詳しくはこちらから → → こころの治癒力を引き出すお話会

2018年12月19日水曜日

今年の「こころとつながるヨーガ」が終わりました。

先週の金曜日は、今年最後の「こころとつながるヨーガ」@名古屋でした。
今年も一つずつ、ぼちぼち終わっていきます。


今回からいよいよニヤーマ。
最初は「サウチャ:清浄」です。

「清浄」には様々な意味合いがありますが、やはり一番難しいのが自分自身に対してではないかと思います。

私たちは向上心や能力、何につけ現状より高めることを様々な場面で求められます。

例えば
*いいお母さんであること
*能力の高い社員であること
*夢を持つこと
*健康であること
*肯定感を持つこと

など。それ自体はもちろん悪いことではありません。
ただ知らず知らずのうちに素晴らしい人、能力のある人、良い人、愛される人になる事だけに焦点が定まってしまい、欠点(と思われること)に対して寛容でいられなくなってきてしまいます。自分にとって好感の持てない考えや感情、出来事を嫌がり、それらと共に落ち着いていられなくなるのです。

例えば
*感情的な反応をしたことに対する嫌悪感
*不安や焦りに捉われる
*嫌な出来事に対してすぐに意味づけをしてポジティブに置き換える
*こうなりたいというイメージと違う自分、他人を認めない

など。
これは急激に起こるというよりは、じわじわ起こるので自分では、そうした反応に気づいていない場合がほとんどです。

ヨーガのクラスではよくあることなのですが、
私はいつも「自然な呼吸」をするように、しつこいほど言っています。

ところが、「呼吸は深い方がいい」という思い込みが強い人はなかなか、(不自然な)深い呼吸を手放すことが出来ません。内側から湧く自然な呼吸はその人からすると「浅い呼吸」「リズムが整っていない呼吸」つまり好感の持てない呼吸だからです。

しかし、私たちが意識しようがしまいが、いつも呼吸はしています。それは浅い時もあれば、深い呼吸の時もありますし、吐息もあれば、集中している時は止まっている時もあります、リズムが整っている時もあれば、整っていない時もあります。

それが呼吸です。
そして、その呼吸のおかげで私たちは生きています。

にもかかわらず、その呼吸にも安心して共に在るということがが出来ないのです。
これは呼吸だからという訳ではありません。苦しみ、不安、怒り、退屈さ、心配、焦り…などに対しても同じです。

サウチャを実践していくと、こうした一見ネガティブに見える感情に対して、共にあることが出来る心の在り様に自然と変わってきます。ジタバタして余計に複雑にすることもなければ、無理にポジティブに置き換える必要もなくなります。

サウチャを実践することで、そのような自分を「ほっておく力」、もしくは自分に「まかせる力」がついてきます。ほっておくというのは、余計なアレコレを加えないということ。アレコレをしないと余計に増長されるように思われるかもしれませんが、それは全くの逆で、余計なものが取れてシンプルに必要な事だけが観えてきます。

呼吸も今のその呼吸と共に在る事で、自然で一番ちょうどいい呼吸へと自然と変わっていくのです。

私たちは人間ですから、様々な感情が沸くし、大なり小なり色々な出来事が人生では起こります。その時、自分自身が帰る安全な場、家、基盤が自分自身です。外の何かではなく、自分自身の中に見つけることが出来たとしたら(自分自身にあるのですから)、これほど心強いことはありません。

その第一歩として、まずは日常をゆっくり中断することをお薦めします。一度に1つの事を実践し、全ての意識を注いでみるのです。例えば、お茶碗を洗う時、まずは一枚だけ全ての意識を注いで洗ってみてください。そして、ただ共にある自分を感じることから始めてみてください。

そんなことで?って思いますか?
うふふ。そんなことなんです(^^)
やるのとやらないのとでは雲泥の差なんです♪

***2019年のお知らせ***

2019年こそは自分と上手に付き合っていきませんか?
ただ今、受付中です♪

こころとつながるヨーガ
↑↑↑↑ クリックしてね。

🍀京都でもスタートします🍀
(対話+座学+実技となります)
1月20日(日)13:30~
会場:すみれや
料金:4,000円

🍀名古屋は引き続きニヤーマを行います🍀
(対話+座学)
1月11日(金)19:00~ ←今回は第4金曜日ではないのでご注意ください
会場:roomCREA
料金:3,000円



2018年12月13日木曜日

呼吸の意味、身体の声をしっかり聴き感じる大切さを本当に学びました。

心身の調子が悪くなると、

この状態がずっと続くのでは…
これが続いたら仕事はどうなるんだろう…
この不快な症状はいつまで続くのか…
私はどうなってしまうんだろう…

など、
誰でも不安になりますし、不快な症状に意識が集中してしまいます。

クライアントのS様も同様な不安感をお持ちでした。

しかし、ヨーガセラピーのアーサナ(本当にシンプルな動きです)を、しっかり自分自身の身体や呼吸の声に意識を向けることで、気持ちが落ち着き、今の自分の状態を客観的に観はじめるようになられました。

同時に、実際に身体がポカポカし、
胸の圧迫感や緊張感が内側から緩んでいくのを感じられたそうです。

また寝る前にほんの少しヨーガを行うことで、
スムーズに眠りにつける日が増えてきたとのことです。




呼吸と身体の声。
本当に大切。

また、

「あっ私は大丈夫なんだ。
今ある症状も“正しい反応”なんだ」


とも思えたとのこと。

ご自身が、ご自身を拒否せずに、
受け止めた瞬間です。

身体や呼吸の声、身体に起きている反応は
他の誰でもない、ご自身の声であり、反応です。

日常ではついつい忘れてしまうこともあるかもしれません。
でも大丈夫。

なぜなら、身体や呼吸の声を聴いた時の
その感覚や穏やかさを体感しているので。
自分が戻ってくる場所はもう分かっています。
あとは、速やかに戻れる練習です。

そしてこの練習が身体や心の調和を取り戻す練習でもあるのです。

無理をせず、ご自身のペースで。
立ち止まる時もあります。
その時は立ち止まる事を許してあげてくださいね。

************

プライベートセッションでは、
お一人おひとりに合わせたプログラムで、
進めていきますので、
安心して取り組んでいくことができます。

症状の改善や悩みや問題の解決と同時に、
この先、対応できるしなやかさを身につけていただくことができます。

モニター募集期間は12月末までです。
12月中にお申込いただいて1月からのスタートでも大丈夫です。
詳しくはこちらをご覧ください。
→→→ プライベートセッション・モニター様受付中

2018年12月7日金曜日

オキシトシンの表と裏。

先日、読書会に参加いただいている方から一冊の本をお借りしました。



他人を引きずり下ろす快感(笑)なかなかなタイトルです。

私は「シャーデンフロイデ」という言葉をこの本で初めて知りましたが、他人を引きずり下ろしたときに生まれる快感のことを言うそうです。

例えば、成功者してる人のちょっとした失敗をネット上で糾弾し(炎上ってやつですね)、で、喜びに浸るとか。コワイコワイ。

実はこの行動の根幹には、脳内物質の「オキシトシン」が深く関わっているというのです。

絆ホルモンとか、愛情ホルモンとか癒しとかという言葉と必ずセットになっている、あの「オキシトシン」です。

実際、「オキシトシン」は母子間など、人と人との愛着を形成するために欠かせないホルモンであるのは間違いないのですが、最新の研究では「妬み」感情も高めてしまうことが分かってきたそうです。

内容的には「オキシトシン」だけで説明するのは…と思う所もありますが、少なくとも「オキシトシン信仰」へ一石を投じる内容ではあると思います。

代替医療の中ではここ数年いろんな場面で「オキシトシン」の良い面ばかりが強調されています。「オキシトシン」だけでなく瞑想なんかも同じだなって思います。

まるで〇〇ダイエットみたいに感じるのは私だけでしょうか?

ヨーガや仏教では「愛」ではなく「慈悲」という事が言われますが(愛は苦(執着)を生みだすと言われます)、慈悲はこれだけやっていれば慈悲が高まるというものではありません。身体や呼吸、教えや、倫理観、道徳観、様々な要因が折り合わさって初めて慈悲の力が高まると言われます。

当たり前っちゃ、当たり前です。
絆にしろ、癒しにしろ同じことです。
でも私たちはすぐに簡単なものに飛びついてしまう(笑)

身体だってとっても複雑なのに、心に関わる事がこんなに単純なわけありません。
頭が痛い→頭痛薬を飲むということは嫌がるのにね。

言葉によって、猛烈にマイルドに感じるるようにしむけられているだけな気がします。

単純なことを複雑にしないでよ
複雑な事を単純にしないでよ

大好きな真心ブラザーズの歌詞の一部ですが、何につけても言える事ですね。


週の初めに静かに自分と向き合い、自分のすべきことを確認することで、一週間が全然違う。

ケアする側の人のためのヨーガセラピーにご参加いただいているかたから、こんな感想をよく頂きます。

「週の初めの朝に静かに自分と向き合い、自分のすべきことを確認することで、一週間が全然違う。」

「今まで断る事ができなかったけど、罪悪感とか抵抗なく普通に断っている自分がいて、気持ちがすごく楽でした。なんだ断っても大丈夫だったんだ!と・笑」

「優先順位がハッキリ自覚出来て、自分の時間が持てるようになりました」

「身体や呼吸にこんなに意識を向けたことが無かったのですが、不思議な感覚です。こんなに心が落ち着くなんて」

「意識をむけるだけで、こんなに身体が楽になるなんて…」

「前屈でこんなに深くできたの初めて…」



私たちは日常の中で「しなくてはいけないこと」が沢山あります。そこには本当に「しなくてはいけないこと」もあれば、しなくてもいいのに習慣でそうしてしまっている事(思い込んでいること)もたくさんあります。実はこの「習慣でそうしてしまってる」というのは、なかなかの根深さがあります。

このクラスでは、自分自身に意識を集中させることで、日常の流れをゆるやかに中断し、振り返ることが出来る状態を作り出していきます。

その為に呼吸や身体が重要な役割を果たすのですが、動きは非常にシンプルです。呼吸からはじまり、呼吸に伴う動き、身体の繋がり、自分の身体の感覚、声響き、内側からの緩み等、自分に意識を集中させることが全体の90%くらいを占めています。そのため簡単すぎる?と思うような動きの繰り返しです。

動きが重要ではないのです。間違っていても特に問題はありません。(というか間違えようもありません・笑)

その時、いかに自分に意識を向け、内的な感覚を鋭敏にできるか。それがポイントです。

日常の流れをゆるやかに中断するというのは、いいかえると、感情や思考のスピードをゆるやかにしていくという事です。そうすることで様々な物ごとの優先順位に気づいたり、そこまでやらなくても良いかも…という関わりの程度に気づいたり、自然に手放すことができたり、そもそも全く気づいていなかった自分の行動や反応に気づいたりしていきます。

それは本当に自然な変化で、無理に変えようとしたり、こうした方がいい!というようなものとは全く違います。

職業としてケアやサービスに従事している人も、家庭の中で家族のケアをしている人も、もちろん子育て真っ最中のお母さんも、みんな忙しい。忙しいからこそ、いつでも、どこでも、道具なしにできる方法を身につける事はとっても重要です。

そして、もう一つのポイントは心の静けさを取り戻すために身体や呼吸を使うので、身体の調子も整ってくるのです。←ヨーガ療法のテクニックも取り入れています。

特に対人援助職や支援業務、医療従事者や教育関係、もちろん一番身近な存在である家族に対してでもそうですが、ケアす側というのは、思いがあればあるほど、自分の心を押し込め、自分を置き去りにしがちです。それは突然に始まるのではなく、日々の中でじわじわと進むのでなかなか気づくことがありません。

体調が不調になっていたり、燃え尽きてしまいそうになっていたり、人間関係でギクシャクしたり、働いている、もしくは家族の世話をすることの意味を見失ったりしてしまったり、そんな状態になって初めて本人が気づく場合が多いものです。

ケアする側の人が倒れてしまっては身も蓋もありません。それに、素晴らしい思いを持ちながらも、その思いが負担になってしまうなんて、悲しいものです。だからこそ、ケアする側に立った時は、自分自身をケアする事にも意識を向ける必要があります。専門的技術や知識と自分自身でケアをする技術と智慧は両輪です。

このクラスは平日の午前中(毎週月曜日:ヨガの杜、第2,4週・火曜日:岩倉生涯学習センター)で開催しています。週の初めに自分を整える時間を作ってみませんか?

詳しくはこちらをご覧ください。 → ケアする側の人のためのヨーガセラピー

2018年12月4日火曜日

絶対に失敗しない設定。

日曜日はホリコミの習慣力・意志力のセミナーでした。

ヨーガでも習慣や意志力の重要性はあらゆる場面で出てきます。例えば、ヤーマ・ニヤーマなどはまさに習慣を変えることの話。

習慣にするというのは一生やり続けれるくらい、頑張らない、当たり前の事柄にするということ。

なので、習慣を身につけるにはチョットしたコツがあるのです。

その一つが「失敗が出来ないほど小さな達成できる課題を目標にすること」です。


ヨーガを習慣にしたいという方はよくいらっしゃいますが、多くの方がいきなり毎日30分というような設定をされます。もしくは太陽礼拝だけでもと。

が、だいたい3日坊主。もしくは1日も達成できず…という人もいたり(笑)そりゃそうですよね。昨日まで何にもやってなかったんだから。

ちなみに、むか~し、むかしの話ですが、私がヨーガを始めた時は、一日一回マットに触るというのが目標設定でした(笑)で、今に至っています。

あの頃はあまり仕組みが分からなかったのですが、去年から学び始めて、ちょっとずつ取り組んできました。実は今年は色々と習慣化されてきています。

*踏み台昇降
*スクワット
*プランク
*梵字の練習
*漢文を読む練習

他にも以前からやっているヨーガや瞑想、読書、片付けなどありますが、主たるところではこんな感じです。

これらは基本、毎日おこなっています。
特に苦なく習慣化できました。なんせ目標設定が失敗しない設定ですので(笑)

実はこうした事が達成させる過程の中で、次第にやりたいことや人生の目標が見えてくるものなのだそうです。step by stepってことですかね。これはなんだか分かる気がします。

そしてもう一つのポイントが

やる気より行動が先

これもまた分かります。やる気がないからできないのではなく、行動することでやる気にスイッチが入るということです。

だとすれば、最初は本当に失敗しない設定目標をつくって始めるしかないですよね。気持ちが追い付いていないのに高い目標を、しかも続けるなんて無理です。(間違いなく私は無理…)

絶対に失敗しない目標設定、低すぎて設定した時は笑えてきますが、お薦めですよ♪


2018年11月25日日曜日

ワーク・ライフ・バランス? ライフ・ワーク・バランス?

先日、ぼんやりテレビを眺めていたら、ワーク・ライフ・バランスについてやっていました。なにげに私は30代に入ったころから、「働く」ということを結構真剣に、ずっと考えています。



「働く」ってなんでしょうねぇ。難しい問題です。働くの中には生業も当然はいります。生きていくにはお金は必要ですしね。20代の頃は生業=働くでした。だからだから、当然の如く生業とする業種や働くスタイルにもこだわっていたように思います。

でもそんな風に過ごしていたから、気づいたら極端に仕事中心でバランスがすごく悪くなっていました。仕事も好きだったし、毎日も充実していたし、多分はたから見たら、結構楽しそうに見えたと思います。

実際楽しかったのですが、これなんか違う…。

東京から実家に戻った時、今まで見たいな働き方はしない!という事は決めていました。具体策は特になかったですが、とりあえず名古屋に戻ってから、不規則に働くのではなく、派遣であえて残業も全くない9時5時の事務仕事についてみたり。失業手当で過ごしてみた時期もあります。この3月までは時短で働いて、ヨーガの仕事をしていたり。

かなり試行錯誤&迷走(笑)

でもこの試行錯誤の中で少しわかった気がします。「働く」ということが。生業だけではない「働く」を。農業で自分たちの食べるものを作るのも当然「働く」。家族のために食事を作ったり、洗濯を干したりするのも「働く」。もちろんお金を稼ぐのも「働く」。

20代の頃は「働く」が一点豪華のスーパーサーロイン丼だったのが、今は彩り幕の内弁当。なんかね、あの頃より、稼ぎは減ったけど(←いいのか?)困るほどではないし、確実に充実度も楽しさも、心の豊かさも増えてると思うのです。
まぁお金はあるにこしたことはないけどね!(笑)

今は働き方改革という言葉もしきりに言われるようになり、ワーク・ライフ・バランスという言葉もよく目にしますが、この言葉、結局発想が「仕事軸」だから残業減らすとか休日増やすとか、仕事の効率化という事ばかりに目が言ってしまうのはないかと思うのです。

ライフ・ワーク・バランスで考えてみると、また違った景色になると思うんです。そうすると働くことの意味や目的も深まり、結局いい仕事に繋がっていく気がします。

理想論?
でもワーク・ライフ・バランスじゃなくてライフ・ワーク・バランスだよね、なんて思います。